わたくしマナ女、マナ板のようにペチャパイ女子でありながら31歳で乳がんになりました。
自分はがんとは無関係であり、生涯なることもないと思っていた健康体が突然のがん宣告。
とても悲しく苦しい日々がありました。
若年性がんの情報はあまり普及していない中、わたしの経験が少しでも役に立つことがあれば、少しでも同じような経験の方に何か伝えられればと思います。
まずはわたしが乳がんを発覚したきっかけについて時系列に沿ってお話していきます。
人間ドック受診
わたくしマナ女が乳がんを発覚するきっかけとなったのは、人間ドックでした。
30歳から会社の福利厚生を利用して人間ドックを受けることが出来たので、30歳のときに初めて人間ドックを受け、この31歳のときは2度目の人間ドックでした。
人間ドックでは触診+エコーかマンモグラフィーのどちらかを選択できます。
1度目のときはエコーを受けており、特に問題はありませんでした。
交互に受けると良いと聞いていたので、2度目はマンモグラフィーを選択しました。
この人間ドックを受けたのが、10月中旬でした。
わたしはこれまで大きな病気にはなったことがなく健康診断でもいつも良好タイプだったので、人間ドックを受けた理由は「病気がないことを証明して安心するため」という認識でした。
しかし2度目の人間ドックを受けた際、マンモグラフィーで“右中部「構築の乱れ」”により要再検査の通知が届いたのです( ゚Д゚)
ただこの時は再検査行かなきゃなぁ~くらいにしか思っていませんでした。
「まだ31歳だし、よく再検査になるって聞くし、どうせ違うんだろうけどいちを行っておくか」
こうして再検査を受けることになったのです。
地元の乳腺外科で再検査
そんなこんなで12月上旬、検査のため地元の乳腺外科に行きました。
この日は、触診、マンモグラフィー、エコーの検査を受けました。
わたくしマナ女、ブログ名にもあるようにマナ板並みにペチャパイ女子なもので、
マンモグラフィーすごく苦戦されました(笑)
「こんなに胸がない人めったにいないんだろうなあ~」
「早く終わらないかな~」
と思いつつなんだかんだ両胸で30~40分かかったと思います。(かかりすぎではないか)
エコーも両胸で40~50分くらいかかりすごく疲れました。(ひたすらぼーっとしていた)
そして先生に画像診断の結果を報告されるのですが、、、
不運なことにこのときの女医の先生がものすごく冷たかったのです。。
わたしは問題がないことを確認するために行った検査だったのですが、まさかの乳がんの疑いがあると言われてしまいました。
正直ものすごく驚いたのですが、やはり「自分に限ってないだろう」という思いと、「画像診断だけでは確定できないからまだわからないのでは?」という期待の方が大きかったのです。
しかし、この冷酷な先生は真顔でためらうこともなく『乳がんの可能性は極めて高いと思います。』
とわたしにさらっと言ってきました。
「いやいや言い方あるだろ」「がん宣告ってこんなにさらっとしてていいの?」
これは何回思い出しても許せん、もう絶対行かないと胸に誓います。
今思うと誤診で見逃されるよりはよかったとは思いますが、あまりにも衝撃的な出来事でした。
とにかくこのときわたしは頭が真っ白になり、ようやく自分ががんである可能性に気づかされるのです。診察室から出て、1人になったときに涙が溢れてきたことを今でも覚えています。。
(あの冷酷な女医のせいだ←かなり根にもっている(笑))
そして大学病院を紹介してもらいました。
「31歳なのにこれから先どうなっちゃうの」「仕事はどうするの」など不安と怖さと悲しさと考えるだけで涙が溢れて止まらなかったです( ノД`)シクシク…。
大学病院へ行くまでの約1週間ほど会社にもまだ何も話せずつらい中、出社していました。
それからというものテレビ等で「ステージ」や「がん」という言葉やフレーズをみるだけで心がずーんと重くなる日々で、わたしもこれまで悪気なく発していた何気ない言葉が人を傷つけてしまっていたかもしれないなと考えさせられました。
大学病院の乳腺外科を受診
1週間後、紹介状持参のうえ、大学病院の乳腺外科を受診します。
このときは、触診、エコー、組織診(がんが疑われる部分の細胞を採取し、検査するもの)を行いました。
組織診は胸に麻酔を数回打ってから、2~3ミリくらいメスを入れ、そこに組織を採取するためのボールペンくらいの太さの針を入れます。その針の方向を変えて胸に数回さされるのですが、採取方法はボタンを押すと自動で採取される機械のような仕組みで、「ドンッ」というか「ビシッ」というかとにかく衝撃音はすごくありました。
でも採取中は麻酔が効いてるので痛くはなく、むしろ麻酔が痛かったです(;’∀’)
腕に打ってもらう注射より痛かった印象です。でも我慢できる範囲ではあります。
その日はシャワーも禁止なのでテープをぐるぐる巻きにされた状態で1日過ごしました。
肌が敏感なため、後に肌がかぶれて大変なことになったので敏感肌の人は事前に先生に話しておくことをお勧めします。
次の日からは普通に入浴もでき、痛みもありませんでした。
傷跡も小さいので目立たず、今ではよくわかりません。
この組織診の結果でがんかどうかを確定するはずなので、結局乳がんではないという結果への期待と、乳がんだったらという不安が交互に頭をよぎる毎日でした。
12月中旬、当初この日に結果がでると言われ大学病院に行ったものの、意見が割れているためまだ確定できていないと言われました。
(えっ、割れるってどゆこと?そんなことあるの?)
そしてMRIを受けることになりました。
数日後、大学病院にてMRI実施。
人生初のMRI、イヤホンを付けているが電磁波の音がウィンウィン、ゴンゴンうるさくて好きではない。
むしろ好きな人はいないと思われる。
閉所恐怖症の人はきついと思います。
わたしは右胸であるので事前に左腕に造影剤を注射し、うつぶせで30分程実施しました。
大学病院での検査はこれですべてになります。
乳がん宣告
12月下旬、ついにこの日に大学病院にてがん宣告。
この日にがんの確定診断を受けました。「非浸潤性乳管癌(DCIS)ステージ0」
手にお守りを握りながら先生の話を聞きました。
「あぁ、やっぱり乳がんなんだ。」
覚悟はしていたものの、今後への不安や絶望感など頭がぼーっとしてしまいました(´;ω;`)ウッ…
【先生は優しく】(※ここ重要)現状と今後の治療法を説明してくださいました。
その話のなかでさらに衝撃なことが、、、
ステージ0で超初期というのに、「全摘出」になるとのお話だったのです。
「えっ、全摘出って、えっ。。」
「だって超初期だし、全部取る必要なくないか」
「いやいや他に方法あるでしょ」
にわかには信じがたいお話でした。
結局わたしの場合、人間ドックを受けてから約2か月半後、最初に地元の乳腺外科を受診してからは約3週間後に確定診断となりました。
非浸潤性乳管癌(DCIS)ステージ0
わたしの診断名である、非浸潤性乳管癌(DCIS→Ductal Carcinoma In Situ)はステージ0であり、がん細胞が乳管内に収まっており、浸潤していない状態とのことでした。
非浸潤というのはいわゆる上皮内癌と同じようなくくりになります。
浸潤をしていないから血流を流れて他の臓器等に転移するリスクがなく、がん細胞を手術して取り除けばその後は無治療で大丈夫だという考え方のようです。
ただ、先程も申し上げたように超初期とはいえ全摘出になりえるものなのです。
自覚症状や痛み
乳がんの自覚症状として痛みやしこりといったものをよく耳にします。
わたしの場合、自覚症状は全くありませんでした。
痛みやしこりは特になくいつもと変わらない状態でした。
仕事は多忙で体力面は疲れていましたが、不摂生な生活をしていた訳でもなく、親族にも乳がんになった人は誰もいなかったです。
遺伝子検査もしましたが、陰性でした。
本当にいつ誰がなるかわからないものなのですね。
こうしてわたしの闘病生活が始まりました(‘ω’)